NHK-FM「アニソン・アカデミー」では定期的に〈ワンフレーズ萌え大賞〉という企画が行なわれている。
私も真似して、同じような感じのことをクラシック音楽でやってみたいと思います。
先に「1音萌えクラシック」というブログを作りましたが、今度は〈フレーズ〉で考えてみようという魂胆よ。
したっけ、そもそもの発案者である中川翔子氏は「一文字萌え」と「ワンフレーズ萌え」を区別するつもりなど最初からなかったのな。知らなかった(笑)。
2021年2月6日放送「アニソンアカデミー」より:
鎌田章吾『VAMOLA! キョウリュウジャー』曲後~
しっかし中川翔子さんの暴走ぶりをうまーくコントロールしてるよね、あべしは。長寿番組となった所以がここにあるんだけど、そういった評価はちゃんとされてるのだろうか?
って、そんなことは今この場ではどーでもいー、
「曲」そのものではなく、なるべく「演奏」に着目して、萌えるフレーズを見つけてまいります。
よろしくお願いしまーす。
◆R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
昭和にクラシックを聴き始めた者にとって、「ドン・ファン」はゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団で聴くものと相場が決まっていた。
シカゴ響にはアドルフ・ハーセスというトランペット奏者がいて、かなり有名でした。(逆に言えば、オーケストラに所属してる演奏家でほかに有名な人はあまり知らない。)
この部分も彼の演奏によるものだろうか。
曲の後半のヤマ場でのトランペット・ソロ。
なんだかスコアを読み解くのがやたら難しくて、少しでも分かりやすくするためにホルンとトランペットのパートだけ切り貼りしてみたんだけど、それでも追いかけるのは容易じゃないよね。
この部分、「Solo」と3度書かれていて、ここは奏者としても気合の入るところ。入り組んだ伴奏と相まって、演奏効果バツグン。
若い頃の〈ワンフレーズ萌え〉でした。
それで、私と同じ経験をした人は、いったい世の中にどれくらいいるのだろうか。
ショルティの演奏で聴き覚えてしまったため、そのあとカラヤンの演奏を聴いた時、絶望したという経験である(笑)。
上の譜例でいうところの3つ目のSoloよ。問題は。
なんとも間抜けな感じがしてしょうがない。しかも、やる気がないように聴こえる。
絶望した。。カラヤンに絶望した、若き日の思い出。。。
この話のオチは2つあって、1つ目は、今じゃカラヤンの演奏も楽しく聴いてます、ということ。
2つ目は、実はカラヤンの演奏で正しかったのだった、ということ。
こんなブログをクラシックに詳しい人が見たら、何いまさらゆうてんねん!と怒られるだろうが。
気がついたのは最近でした。3つ目のSoloは、フォルテで始まるものの、ディミヌネンドしていってメゾピアノになるのですね。ガーン!!
ぶったまげー、
絶望したことが間違ってたのでした。カラヤンの名誉回復に40年ぐらいかかりました。
スコアが悪りーんだよ!スコアがヘンテコだからこーなるのさ!!(←見苦しい八つ当たり)
いや実際、この作品には強弱記号のおかしなところはいっぱいある。だが、ヘタに指摘しようとすりゃ墓穴を掘ることになるから止そう。
そ、そんなことより、この箇所の注目すべきは、3本のトランペットが入れ替わりでソロをつないでゆくところですよねーって。
同音のところでつないでいって、あたかも1人の奏者が息継ぎせず吹いてるに聴かせるワザですね。
トスカニーニの盤で聴いたりすると、実際1人で吹いてるようにしか聴こえないんだけど。
てか、この箇所に限らず、難しくて楽譜を追いかけきれんわ。
スコアが悪りーんだよ!スコアが!!(笑)
◆シベリウス:交響曲第7番
まあ、スコアを追いかけきれないのは快感だということですよ(笑)。
いい例がこの交響曲。
しばらくアダージョの部分が続いた後、ウン・ポシェッティーノ・メノ・アダージョに入り、木管がざわめきだす。
するとそこにティンパニが加わり、あろうことか一緒にざわめきだすのよ。それが何言ってるかさっぱり分かんないのよ、
でもそれがいいのよ。
ここのティンパニはピアニシモという指定だけど、ちゃんとはっきり聴こえるように叩いてほしい。
やっぱりパーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏が好き。
同じようなのがもう1箇所:
ぎゃはー、わからん
この木管やティンパニたちは、いったい何と言ってるのだろう??
サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の例だとどうだろう。
1箇所目:
2箇所目:
あぎゃー、ワケわからん
スコアを追いかけきれん。難しすぎる。でも辿りつけない喜び ♡
てか、こーゆーのも〈フレーズ〉と言ったりするのだろうか??
◆リムスキーコルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」第2楽章
もっと分かりやすいものにしましょう。(←「1音萌えクラシック」と同じパターンじゃねえか)
「カランダール王子の物語」に出てくるトロンボーンのソロよ。分かりやすいでしょ。
同じのが何回か現れるけど、一番最初のやつ。
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による例:
ここをどう歌わせるかによって曲全体の印象がガラリと変わる。
ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とかは、比較的早いテンポで〈切迫感〉みたいなのを出しているよう。
小林研一郎/日本フィルなどは、テンポを落としてじっくり聴かせているが、
もっともっと〈おどろおどろしく〉やってほしいじゃないの。
何といっても印象に残るのは、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮パリ管弦楽団ですよ。この曲の決定版。「シェヘラザード」を知ってから割と早い段階で私はこの演奏と出会うことができた。幸運なことだったと思っている。
三連符のノリ方が全然違う。
ほとんど〈恐怖〉じゃないですか。これぞワンフレーズ萌え(笑)。
実際「シェヘラザード」って、おどろおどろしい世界のハズ。
「木曜スペシャル」の音楽のような、未知への戦慄を感じさせるぐらいでちょうど良いと思う。
怖いもの聴きたさ
怖くて眠れないぐらいのド派手さでいいんじゃないの、ここのトロンボーンは。
って、本当はダブルフラットの意味合いについても触れられればカッコいいんだろうけど、知らん(笑)。
◆ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」より「春」第3楽章
図らずも、ソロによるものが続いてしまいました。
合奏で分かりやすいものを。
「春」の第3楽章冒頭の1節。
標準的な演奏として、やはりイ・ムジチ合奏団。コンサートマスターがピーナ・カルミレッリのもの:
これこそ春の第3楽章。やっぱ「四季」はイ・ムジチに尽きるぜ。
どんな曲でも〈標準〉以外の演奏に接すると驚いてしまうが、千住真理子/クルト・レーデル指揮イギリス室内管弦楽団による春の第3楽章には、私も大きな衝撃を受けました。
なんじゃこりゃー、でしたよ最初は。
バロック音楽の場合(バロック音楽に限らないかもしれないけど)、その道の既に権威者となってる人たちと同じ土俵で張り合っても勝てないから、独自の路線で活路を見出すしかないということなのだと思う。←!!
CDの帯に「21世紀の四季」と書かれている。(ちなみに、録音されたのは1988年。)〈新しさ〉で勝負できた、まだ時代だったという言い方もできるのかな。
今はもう〈新しさ〉すら出尽くした感もなくはない気がする。〈目新しさ〉なら残ってるかもしれないが。
それでいいのよ、もうお腹いっぱいだし。・・などと言うようでは、もう年寄りの仲間入りだけど。。。←!!
◆ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」第2楽章
千住真理子が好きだということでは特にないのだけど、もう1つ千住ネタを。
ブラームスの室内楽の中でも最初の方に聴き覚えた作品。なんだけど、あんまり〈聴き比べ〉みたいなことはしたことはなく、CDはずっとピンカス・ズーカーマン/ダニエル・バレンボイムひとすじだった。
第2楽章の終わりの方のこの箇所が好きなの:
ズーカーマン/バレンボイムの演奏では、末尾を少しリタルダンドさせてて、夏の終わりを予感させるみたいな印象を醸し出してる。
いや、やっぱりかなり好きなフレーズだわ。(ズーカーマン/バレンボイムのじゃなくても)
で、千住真理子/丸山滋も同じようにリタルダンドさせてるんだけど、とにかく1音1音の丁寧さが際立っていて、聴き惚れながらも良い意味で緊張させられるんだわ。しみじみとした緊張なんだわさ。こんな日本語ってある?「しみじみとした緊張」(笑)。
うん、やっぱり良い。実に繊細だ。
千住真理子に限らず、ほかにも良い演奏はたくさんあるんだろうけども、今のところ千住真理子のが良い(笑)。少なくともこの箇所は。
と考えると、もっともっといろんな演奏でこの作品を聴きたくなる。。
◆ブラームス:交響曲第4番第2楽章
ブラームスのオーケストラ作品はどれも素晴らしい。さて、交響曲の中からどれかワンフレーズを切り取れと言われると・・・。
ああ、第4番の第2楽章のアレがある。アレよ、アレアレ(笑)。
まずは普通の演奏。
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団による例:
第1主題を離れて第2主題を予備する間奏部、とのこと。
フルトヴェングラーの場合はゆったりと、じっくりと、クレッシェンドを利かせる。
ライヴ感がすごい。
突拍子もない演奏なのがクナッパーツブッシュ指揮ケルン放送交響楽団のライヴ。
クレッシェンドもするけど、それ以上に凄まじくアッチェレランドしていくのである。
同じような演奏は聴いたことがない。唯一無二のとんでもなさだ。
旋律の輝きもさることながら、水面に跳ねるピチカートが眩しすぎらあ。
宇野功芳先生は「感情があふれてこぼれおち、すべての表現が吹っ切れているので、ブラームスの音楽を超え、ひとつのものすごい芸術にまで高まってしまう。」(講談社現代新書『交響曲の名曲・名盤』)と書いている。
「もっとも、これはブラームスではない、と怒り出す人もいるだろう。」とも書いているが、私のようにスリリングさに大喜びする人間の方が多いのではないだろうか。
げにライブ演奏の魅力、ここに極まれり。
◆ブルックナー:交響曲第8番第4楽章
クナッパーツブッシュのライヴといえば忘れられないのが、この楽章よ。
ミュンヘン・フィルを振った1963年の演奏。
音楽が一段落して、再び盛り上がるためトランペットがイントロをかますんだけど、思い切り空回りしてしまうのである。
成功してる例(笑)として、スタジオ録音だけどカール・シューリヒト指揮ウィール・フィルのもの:
ここがクナッパーツブッシュは、ズッコケてしまってるの。
ワンフレーズ萌え
おそらく演奏者サイドとしてはアッチェレランドすると目論んでたのだろうが、指揮者はインテンポのまま進めたので不発に終わってしまったものと思われる。
にしたって、ハンパないズッコケ方でしょう。最初聴いた時、私もズッコケた。
だが、これこそ一期一会のライヴの醍醐味なのです。てか、自然の気まぐれを賛美したブルックナー演奏の神髄・極北であります(笑)。いやいや、本当にそうよ。胸が熱くなるぜ。
◆ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第3幕
ライヴならではの一期一会の迫真性、真実味と言ったら、じゃあオペラから。
今度はフルトヴェングラーの方を引き立ててみようか。(しっかし古い演奏ばかりだな。。)
「ワルキューレ」第3幕の幕切れ、いわゆる「魔の炎の音楽」。
ジークフリートのモチーフが厳かに高らかに鳴った後の箇所。ここがね、やっぱ最高なのよ。
クナッパーツブッシュがウィーン・フィルとやった演奏。これはスタジオ録音です。
ジークフリートのモチーフを鳴らして、次の楽劇での英雄の登場を予感させながらも、いやー長い長い「ワルキューレ」が今まさに終わろうとしているわけですよ。
どっぷりと音楽に浸りたい。クナッパーツブッシュの演奏で、もちろん十分。
さて、フルトヴェングラーのCDで1937年にコヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団を振ったライヴがある。むかーし、面白がって買ったのだった。
当然のことながら音質が悪い上に雑音が激しく、その意味でも純粋に面白かったが、ライヴの迫真性、というより〈時代の迫真性〉なんだろうなあ、真実味がものすごかった。
なーんか熱にうなされるような感じなのよ。とにかく聴いてくれ。
こんなわずかな部分だけ今聴いてもしょーがないんだけど(笑)、俺様はバカみたいに圧倒的な感銘を受けたのよ。
1930年代の録音である。ぎこちない感じさえする。
でも木管を強調させてるのが、なんだか嬉しいじゃないの。して、ホルンや低弦はこーゆーふーに疲れ切った感じの無表情でいいのよ。長大なオペラが終わろうとしてるんだから。クナッパーツブッシュの方が良い?(笑)
あれですよ、映画「スター・ウォーズ」のエンド・タイトルの音楽を聴くと、「魔の炎の音楽」を思い出したりする。
音楽の盛り上がりが一旦収まり、「レイア姫のテーマ」が流れるところ:
映画のクレジットロールを見ながらここの部分を聴いて、我々は皆、このような世界に少しでも近づくことができるならどんな苦労にも耐えられる、なーんてふうに思ったりしたもの。それほど魅惑に満ちていた。
このフレーズの末尾をジークフリートのモチーフに寄せているってのは、分かりやすいタネ明かしみたいなものだと思うんだけど、違うのかなあ????
「魔の炎の音楽」!いやー感動だ。TVアニメ「宝島」の最終回、スーパー戦隊シリーズ「未来戦隊タイムレンジャー」の第1話とともに世界3大感動作と言っても過言ではないぞ!!(ずいぶん狭い世界だな)
◆バーンスタイン:「ウエストサイドストーリー」よりシンフォニック・ダンス
映画の話をしちゃったから、ミュージカル映画を(笑)。
一応、作曲家としてのバーンスタインもクラシックの範疇に入れられるだろうし。
オリジナル・サウンドトラックの「体育館でのダンス」からマンボである。マンボマンボ!うーー
この後「マンボ!!」の掛け声もかかる。いいねえ。マンボのリズムで心も弾む。
ところが。バーンスタイン自身が指揮した「シンフォニック・ダンス/ウェスト・サイド・ストーリー」では全く違うスポーティーなノリになるのよこれが。
ニューヨーク・フィルハーモニックを振ったもの:
どこがマンボやねん!
しかしカッコいい。憧れてしまう(笑)。この録音での「シンフォニック・ダンス」一番の聴き所はココである。(すよね?)
テンポが違うだけじゃない。ノリが全然違う。どこをどう変えればこんなふうになるのか、私にゃさっぱり分からん。しかしスゴイ。
マンボのズボンは不良の始まり、という歌もあるぞ。
◆ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」第2幕
オペラといえば、このネタをやらせてください。
「おおかみ谷」の描写のシーン。
見えざる妖精たちが「Uhui! Uhui!」言うところ。
アーノンクールがチューリヒ歌劇場でやったライヴの例:
もはや「フレーズ」ですらない
この演奏では、合唱の「Uhui! Uhui!」は、音が下がっているように聴こえますよね。
実際の楽譜がどうなってるか未確認で恐縮です。
ラファエル・クーベリックが指揮したものだと「Uhui! Uhui!」の合唱は、音が上がっているのである。
バイエルン放送交響楽団と合唱団。
さらに、カルロス・クライバーが指揮したものになると、鋭さが加わり、怪奇色と恐怖が増すのだ。
こえーよ!
こういうデフォルメした演奏ってのは正にカルロス・クライバーの特色で、クライバーなら何かほかの人と違うことをやってくれるんじゃないかと期待させ、実際に期待以上のことを次々とやった指揮者なのであった。
ドレスデン国立管弦楽団、ライプツィヒ放送合唱団。
私の大好きなオペラ。
にしても、なんかついつい「怖いもの」系の方向に行っちゃうな。クラシック音楽って、怖いものだったんすよ、子どもの頃は。
ほいでもって、小さな子どもを怖がらせる音楽として、この「おおかみ谷」の音楽と双璧であろうと、次にマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」を上げようとしたら、YOUTUBEは著作権でブロックされるのでありました。
しかも、あたしゃ「ビッチェズ・ブリュー」って言葉を、それこそ「狼の鳴き声」みたいな意味だと勝手に思い込んでたんだけど、今回よく調べてみたら全然違ってたわ(笑)。こっぱずかしー、
そんなオチで勘弁してください。。
◆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番第3楽章
ベートーヴェンの後期の作品は、やはり特別なもの。若干こじつけだが「演奏者を選ぶ」という意味でも特別であるような気がする。
ピアノ・ソナタなら(後期に限らず)、まずは何といってもヴィルヘルム・バックハウス。
第30番第3楽章の、この箇所が好き。第4変奏の後半、和音の進行だけで感情が揺らいでいくところ。
そう。こんなふうに弾かなければならない。
大概のピアニストは黙っててもこのように弾いてくれる。
私の今までの人生における失敗はもちろん数えきれないぐらいあるけど、ベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタを、グレン・グールドのCDで最初に買ってしまったのは比較的上位に来るほどの大失敗でした。
その前は、ラジオから録音した誰かの演奏で聴いてたのだが、グールドのを聴いて「嘘だろ」と思った。「やめてくれ」とも思った。クラシックのCDを聴いて「やめてくれ」と思うのは、なかなかあることではない。
これは・・・
飛ばしすぎだろ(笑)、いくらなんでも。グールドの演奏では時々このようなことが起きる。グールドに興味はあるが、私はグールドの信奉者ではない。この演奏はひどいと思う。
「今じゃ楽しく聴いてます」というオチではない。今聴いてもひどいと思う(笑)。ほかの人と違う何か変わったことをしようと、奇をてらっているだけだと思う。しかも失敗に終わっていると思う。
ただ、第31番も第32番も同じような感じなんだよね。その点では一貫性がある。ある意味、芸術的だと思う(笑)。だが好きではない。
◆ブラームス:ラプソディ第1番
おっと。思わずグレン・グールドをけなしてしまった。
グールド好きです(笑)。バッハとかはもちろん重宝してますし、ブラームスの独特の味わいにも定評がありますよね。
最後に、ラプソディ第1番の中間部から。夢見心地になるフレーズを。
まず、標準的な例としてヴァレリー・アファナシエフの演奏で:
「フレーズ」としては長いけど(笑)、おやすみ前の祈りのような音楽ですよねえ。
これをグールドがどのように弾いてるかというと:
やっぱりけっこう速いんだけど、やみくもに速いんじゃなく考え抜かれたテンポ設定で、特に左手の動きはこのスピードだからこそ生き生きと意義のある刻みになっている気がする。
音楽をどう「生かす」かということを、本当に発明・発見のように探っていった人なんですよ、たぶん。
グールドも良いけど、でも私のイチバンのお気に入りは、アルトゥール・ルービンシュタインによる演奏です。
「The Brahms I Love」(邦題は「ブラームス ロマンティック・ピアノ小品集」)というアルバムに収録されている。
確かに、このモルト・ドルチェ・エスプレッシーボは最高。ロマンティックの極みだ。
この赤丸の不協和音を分散和音のように奏でるセクシーさ!(笑)
たまらんぜよ。
って、「ワンフレーズ萌え」っていうより、「1音萌え」じゃねーかよ、
D.S.