対象期間:デビューから2023年3月まで


 競馬の必勝法を探るように、敗因を分析していくブログです。
 ただし、私は将棋のことをよく知らない。しかも、競馬には必勝法がない。


【参考文献】藤井聡太全局集 平成28・29年度版~令和4年度版・下 七冠獲得編(日本将棋連盟)
      藤井聡太 完全データブック 令和5年度版(日本将棋連盟)


 先手番で負けとなった対局は次の通りである。

【戦型略称】角換わり腰掛け銀⇒角銀、角換わりその他⇒角他、相掛かり⇒相掛、矢倉・雁木系⇒矢雁、横歩取り⇒横歩、対中飛車⇒対中、対四間飛車⇒対四、対三間飛車⇒対三、対向かい飛車⇒対向、対角交換振り飛車⇒対換、その他⇒他型   

  日付  棋戦 相手戦型
H29.9.22銀河戦本戦上村 亘横歩
H29.11.29棋聖戦予選大橋貴洸横歩
H29.12.23叡王戦本戦深浦康市他型
H30.1.6王位戦予選大橋貴洸横歩
H30.9.14王位戦予選山崎隆之角他
H31.2.5順位戦C1近藤誠也角銀
R1.7.9銀河決勝ト久保利明対換
R1.7.23竜王戦本戦豊島将之角銀
R1.8.11日本シリーズ三浦弘行横歩
R1.11.19王将挑決リ広瀬章人矢雁
R2.6.10王座戦予選大橋貴洸横歩
R2.7.9棋聖五番③渡辺 明角銀
R2.7.24竜王本指直丸山忠久角他
R2.9.12日本シリーズ豊島将之横歩
R2.9.22王将挑決リ羽生善治横歩
R2.10.26王将挑決リ永瀬拓矢対四
R3.6.29・30王位七番①豊島将之相掛
R3.9.14銀河決勝ト渡辺 明角他
R4.1.13順位戦B1千田翔太相掛
R4.6.3棋聖①再直永瀬拓矢角銀
R5.3.5棋王五番③渡辺 明角銀


 Wikipediaによると、藤井(敬意を込めて敬称略させていただきます)は「時期によって採用する戦法に偏りがある」とのこと。「棋士は相手の研究を外すために複数の戦法を使い分けることが多く、藤井のように時期によって戦法や指し手を固定するのは珍しいとされている」そうである。
 本来であれば敗因の分析も時期毎に行うべきであろうが、ひっくるめて考えます。


1.
 まず、上の表中「戦型」の欄に太字で示した通り、横歩取りを採用して負けてしまうことが多い。2020年度までの勝率は他の戦型よりも低かった。(以降は違うけど。)
上記①②④⑨⑪⑭⑮の7局は、横歩取りを採用したのが敗因である。
 ちなみに①の対局は、藤井が公式戦で横歩取りを採用した最初のものである。

 また、③の対局は、9手目に飛車で相手の2四の歩を取った後、11手目に横に動いて7四の歩を取る。横歩取りみたいなものだ。これも仲間に入れることとする。横に歩を取っては負けの元なのである。

 ③も加え、計8局は敗因確定として表から除外すると、残るものは次の通りとなる。

  日付  棋戦 相手戦型
H30.9.14王位戦予選山崎隆之角他
H31.2.5順位戦C1近藤誠也角銀
R1.7.9銀河決勝ト久保利明対換
R1.7.23竜王戦本戦豊島将之角銀
R1.11.19王将挑決リ広瀬章人矢雁
R2.7.9棋聖五番③渡辺 明角銀
R2.7.24竜王本指直丸山忠久角他
R2.10.26王将挑決リ永瀬拓矢対四
R3.6.29・30王位七番①豊島将之相掛
R3.9.14銀河決勝ト渡辺 明角他
R4.1.13順位戦B1千田翔太相掛
R4.6.3棋聖①再直永瀬拓矢角銀
R5.3.5棋王五番③渡辺 明角銀


2.
 藤井は角行の使い方の名手として知られるが、最強の攻め駒はやはり飛車であろう。
 上の表の太字で示した対局は全て〈飛車の働きが弱かった〉とこじつけ・・じゃない、見做すことができるのである。

 ⑤の対局:
 飛車が37手目3八へ、69手目4八へ、85手目5八へと、自陣の中で少しずつ5筋へ寄って来る。
 そして97手目に5九へと収まり、あとは全く動かない。守り駒の役目を果たしたのかもしれないが、138手で投了するまで十分な活躍をしたとは言えないのではないだろうか。

 ⑦の対局:
 藤井の飛車は45手目で2九へ収まり、69手目4九へ。
 その後、4八→6八→6七→6九→2九→2七→2八→2九と目まぐるしく動き、101手目に最初の2八へ戻り、最後は130手目で相手に取られ、146手で投了となる。
 こちらも自陣内で守り駒としては活用されたのかもしれないが、飛車ならではの攻め駒としての活躍は不十分であったと言えよう。

 ⑧の対局:
 これも飛車がずっと自陣のままである。
 33手目で29に下がり、ようやく89手目で39へ動く。
 その後、3八→3六→3九と動き、101手目に1九へと収まる。
 これじゃ働きが弱いだろーがと思っていると、31にいた相手の玉が吸い寄せられるように1二へ動き、これぞ藤井マジックという展開となる。
 しかし、☖4六角に対し☗1七飛と浮いた手が敗着となり、146手で投了となってしまった。
 藤井の飛車は最後までほとんど自陣にいたままであった。2筋への睨みを利かせるなど、それなりの役割を果たしたが、遠慮気味だったような印象を受ける。

 ⑩の対局:
 この将棋では相手の飛車を取るものの、最初からある飛車は2八から一歩も動かない。そして負ける。
 飛車は必ず動かなければならない。2筋を睨んでるだけでは宝の持ち腐れなのだ。(いずれ捨てることになるにせよ)一度は攻めに使わなければ負けてしまうのである。

 ⑫の対局:
 飛車が最下段で馬を取っただけで、すぐ次に取られてしまう。
 33手目で2九に下がり、☖8九歩成に対し☗同飛としたのは87手目。直後、9九にいた相手の馬に取られ、乱戦模様の展開となり、142手で投了。
 飛車は前へ繰り出さなければならないのではないか。

 ⑱の対局:
 これも飛車が底辺を這うだけである。
 31手目で2九へ下がり、相手が74手目にとなったのに対し☗同飛とし、以下106手で投了するまで後は飛車は動かなかった。

 ⑲の対局:
 飛車が4八→2八→3八→4八と自陣を動いただけで、相手の62手目、馬に取られてしまう。この瞬間は飛車角交換であるものの、どうもその後の大駒の働きが冴えないように見える。
 飛車は最初の飛車のまま攻めに用いなければならないのだ。

 ⑳の対局:
 相手の飛車を取ることにはなるものの、最初からある飛車は39手目で2九に収まったまま、最後まで一歩も動かない。
 最初からある飛車を活用しなければならないのである。

 ㉑の対局:
 174手という長手数の末敗れたが、藤井の飛車は終盤までほとんど動けなかった。
 藤井の飛車は、37手目でいつものように2九へ収まる。そして115手目にようやく再び2八へと帰る。
 終盤155手目で、2四にいる相手玉の面前に☗2六飛と上がるのは痛快であるように見えるが、これが「藤井にして稀なミス」であったとのこと。結局、飛車が使い切れなかった。
 ただ、相手も飛車を温存する形となったのは、この将棋の興味深いところではある。

 これら9局は、飛車が存分に攻め駒として活用できなかったのが敗因である。

 敗因確定として一覧表から除外すると、残るのは次の通りとなる。

  日付  棋戦 相手戦型
H31.2.5順位戦C1近藤誠也角銀
R2.10.26王将挑決リ永瀬拓矢対四
R3.6.29・30王位七番①豊島将之相掛


3.
 藤井は桂馬使いの名手としても知られる。
 角側の桂馬は玉の囲い等とのアヤがあるので守備用に徹する場合もあるが、右桂は使わなきゃ損なだけだ。
 右桂が活用できず負けてしまった将棋が次の2局である。

 ⑯の対局:
 右桂が一歩も動かぬまま、58手目の☖2九角成で取られてしまう。藤井の右辺は駒が全てなくなる展開となる。
 将棋全体を見れば、藤井は竜を2枚、相手(永瀬)も馬を2枚作る大熱戦であるが、大味な印象を受ける。

 ⑰の対局:
 104手までで後手(豊島)が勝った将棋。
 ☖3七香に対し79手目で☗同桂と応じたが、すぐさま☖同桂とされ、右桂が全く活用されずに終わった。

 ちなみに、先ほどの⑩の対局は飛車が一歩も動かなかったことを敗因として整理したが、右桂も最後まで全く動かなかった。(左の桂馬も投了間際に動いただけである。)

 この2局は、右桂が使えなかったことが敗因である。右桂が働かない状況は、負け将棋への直結を意味するのだ。



 先手番としての敗因を整理すると、
(1) 横歩取りの採用
(2) 飛車の働きが不十分
(3) 右桂が使われず   となる。

 当然、こうなれば必ず負けるという訳ではないが、負ける可能性が生じてくる。そう、藤井の場合は「負ける可能性が生じてくる」というのが重要なのだ。だって負けないんだもの。


 しかし⑥の対局、順位戦C級1組「対近藤誠也戦」は何故負けたのかが分からない。
 飛車は竜にまで成ったし、右桂は相手陣内まで進んだし、そもそも横歩取りではない。

 敗因不明だ。

 次に、後手番の場合を見てみよう。



 おまけ:2015.4.26「将棋フォーカス」より